| 内容説明 |
クライバーはユダヤ人ではなかったものの妻はユダヤ系であり、またユダヤ人の友人も多くいたため、ナチスの台頭を非常に警戒していた。1934年11月30日のベルクの「ルル組曲」の初演に対する禁止令をきっかけにドイツ脱出の決心を固め、禁止令が出た5日後にベルリンの職を辞任。翌1935年のザルツブルク音楽祭出演の後、妻と当時5歳の息子カール(カルロス)を伴ってアルゼンチンに移住した。そしてドイツを離れた翌年の1936年、クライバーはブエノスアイレスのコロン劇場の首席指揮者になり、10年間務めた。
そのコロン劇場でのバッハは、おどろおどろしさを持った濃い演奏で、ウィレム・メンゲルベルクの「マタイ」にも通ずるものを感じる。音揺れ、ピッチの乱れ等、様々なキズがあるものの、クライバーのバッハの音源はほとんど見当たらない上に「ヨハネ」という大曲だけに、音質はまずまずながらも、これは見逃せない貴重音源である。モノラル録音。
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