| 内容説明 |
プロコフィエフの「ピアノ協奏曲第3番」を弾き振りするなど、1930年代よりヨーロッパ各国で成功を収めていたミトロプーロスだが、それに興味を持ったセルゲイ・クーセヴィツキーは、自身が音楽監督を務めるボストンSO.に客演するよう要請し、ミトロプーロスは1936年1月に渡米する。そしてこのクーセヴィツキーによる招聘がきっかけになって、ミトロプーロスのキャリアが本格的に花開く事となる。
だが、クーセヴィツキーは、ミトロプーロスの事を現地新聞などが書き立てた際に自分のことを揶揄されたのが面白くなかったのか、翌1937年の再客演以降は1944年まで客演話は出なかった。そして1946年2月の「ライフ」誌で、ミトロプーロスの成功の記事が5ページにわたって掲載され、その内容にクーセヴィツキーが激怒。楽団側が決めていた同年12月のミトロプーロスのボストンSO.への客演をキャンセルさせてしまう。
当盤は久々の客演となった1944年のライヴが収められている。複数回のボストンSO.への客演ながらも、このコンビの音源は非常に少ないだけに、これは貴重。モノラル録音。
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