内容説明 |
ロジンスキは、1943年にジョン・バルビローリの後任としてニューヨークPO.の常任指揮者となるが、間もなく同オケに初めて設けられたポスト「音楽監督」に就任する。彼は音楽監督の強大な権限をフルに行使して、人員整理を敢行し、多くの楽員の首を切った。加えて、芸術面での相違で経営陣と折り合いが悪く、1947年2月に音楽監督を解任される。その後、シカゴSO.の音楽監督に就任するが、多くの赤字を出したため、ここも解任されてしまう。その後はヨーロッパに戻るも健康を害し、米Westminsterへのレコーディング活動のほかは目立った活動はあまり出来なくなっていた。
ショスタコーヴィチの「第8番」は1943年11月4日、エフゲニー・ムラヴィンスキーの指揮で初演されたが、ここでのロジンスキの演奏はわずか1年後の演奏。苦悩の日が続いたアメリカ時代の大きな遺産と言えよう。モノラル録音。
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